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名古屋地方裁判所 平成7年(わ)153号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一  本件公訴事実の要旨は以下のとおりである。

被告人は、分離前の相被告人AことB、同C子、同D及びEらと共謀の上、行使の目的で偽造有価証券を輸入しようと企て、平成六年一〇月二〇日、大韓民国金浦国際空港において、被告人及びCが、所携のキャリーバッグ二個に隠匿した偽造にかかるアサヒビールギフト券(以下、「偽造ビール券」という。)合計二万一四九枚を機内預け手荷物にした上、大韓航空七六八便に搭乗し、同日午後八時三八分ころ、愛知県西春日井郡豊山町大字豊場字中新田九六番地名古屋空港に到着し、そのころ、情を知らない同空港作業員をして右キャリーバッグ二個を同機から取り降ろさせ、もって、偽造有価証券を輸入するとともに、同日午後九時一五分ころ、同空港内名古屋空港税関支署旅具検査場において、同支署係官から旅具検査を受けるにあたり、前記偽造ビール券を携帯していたのにこれを秘して通関しようとし、もって関税定率法上の輸入禁制品である偽造有価証券を輸入しようとしたが、右係官に発見されたため、その目的を遂げなかった。

第二  当裁判所の判断

一  被告人は、前記公訴事実記載の外形的行為(偽造ビール券の持ち込み)に関与した点は認めるものの、内容物が偽造ビール券であるとは知らなかった旨公判廷で供述し、弁護人も被告人には偽造有価証券を輸入する犯意も共謀の事実もなかったと主張するので、この点につき判断する。

二  客観的に認定できる事実

被告人の公判供述、検察官調書(乙三二)及び警察官調書(乙二五二六)、分離前の相被告人B(乙七)、同C子(乙二二、二三)、同D(乙四〇)の検察官調書、B(乙二ないし六)C子(乙一二ないし二一)、D(乙三五ないし三九)の警察官調書E(甲二八、謄本)の検察官調書、F(甲二二)、G(甲二三)、H(甲二四)、E(甲二六、二七、一二一ないし一二四、いずれも謄本)、I(甲二九)、J(甲三〇)、K(甲三一)、L(甲三三)、M子(甲三五)、N(甲三六)の警察官調書、電話聴取書(甲二)、捜査報告書(甲一二、一八、一九、二五、三二)、捜査関係事項照会書謄本(甲一六)、鑑定嘱託書謄本(甲二〇)、犯則けん疑事件発見報告書(甲三、七)、領置調書謄本(甲五、九)、写真撮影報告書(甲一一)、旅具検査状況報告書(甲一三)、調査報告書(甲一四)、予約状況調査報告書(甲一五)、法務省入国管理局登録課長作成の「出入(帰)国及び外国人登録記録等に関する照会について(回答)」と題する書面(甲一七)、鑑定書(甲二一)によると、以下の事実を客観的に認定することができる。

1  被告人は昭和六三年に中学を卒業後、大阪市内の美容専門学校に入学し、同級生であったC子と知り合った。同専門学校卒業後、被告人とC子は同じ美容院に美容師見習いとして就職したが、二人とも一年余りで同店を退職した。その後被告人は、アルバイトを転々とし、C子との交友も一時途切れていたが、平成六年春ころ、交友が再開し、本件当時は親しい友人関係にあった。当時被告人及びC子はどちらもスナックホステスとして働いていた。なお、被告人には前科歴はなく、本件まで警察の取調べを受けた経験もない。

2  Eは当時C子の恋人であり、韓国に在留してOなる人物のもとで偽造ビール券を韓国で大量に印刷し、日本へ持ち込んで換金する計画に関与していた(C子はOとも面識はあったが本件までビール券の偽造計画については知らされていなかった)。また、Bは過去にEらととともに自動車窃盗事件に関与したことがあり、C子とも面識があったが、平成六年九月ころOから連絡を受けて右計画に関与することとなった。DはBの友人であり同月ころBから右計画への関与を持ちかけられて参加することになった。なお、本件以前にBはカードで時計を購入する詐欺行為につき、C子に手伝わせていたことがあった。そして、Eは被告人と出身中学が一緒で、被告人が一年先輩の関係にある。ただ被告人はEにつき、C子の恋人であること、現在韓国にいること、日本で犯罪を犯して韓国に逃げていること等を耳にしていたが、後述するとおり本件の発生した一〇月二〇日に金浦空港で会ったのが初対面である。また、被告人とB及びDは本件に至るまで全く面識がなく、辛うじてB(A)の名前をC子から「仕事を手伝っている人」として聞き知っていた程度であり、前同日関西空港へ被告人らの見送りに来たB及び同日名古屋空港にBと一緒に被告人らを迎えに来たDと会ったのが初対面であった。

3  平成六年九月ころ、OからBに対して偽造ビール券印刷の試し刷り用の紙を日本国内で入手し、韓国に運び込むよう指示があり、B及びDは京都市内の紙店で紙を入手した。Bは紙の運搬につきEと電話で相談の上、C子に「仕事に必要な書類」と称して、旅費は全額負担するとの条件で運搬を依頼した。C子はこれを承諾し、同月二五日、試し刷り用の紙約二〇枚を段ボールで梱包したものをBから預かり携帯して、金浦空港から韓国に入国し、Eに渡した。その後OからBに印刷用の紙を同様に入手して韓国に運び込むよう指示があり、Bは再度C子に紙の運搬を依頼した。C子はM子と同行して同年一〇月三日、裁断した紙五五〇〇枚を包装紙に包んだ物をBから預かり機内預け荷物にした上再度金浦空港から韓国に入国し、Eに手渡した。また、この時C子は紙の用途につき韓国の税関の係官に質問されて、あらかじめBから指示されたとおり「絵を描く友達のために持ってきた」と虚偽の説明をした。

4  被告人は、C子がB(A)に旅費を持ってもらって何度も韓国へ渡航していたこと及びC子が韓国で時計を購入するよう依頼されていたことをC子から聞いていた。

5  一〇月上旬ころ、C子のもとにBから連絡があり、旅費を負担するから韓国から荷物を運ぶため知り合いを紹介してほしいと依頼された。そのころ、被告人は初めての海外旅行として知人のP子とヨーロッパ旅行に行く計画を立て、パスポートを申請中であり、C子にもその話をしていた。C子は被告人に連絡し、パスポートができたら一緒に韓国へ行って持ってきて欲しいものがあると誘った。

6  同月中旬ころまでの間に被告人が単独で韓国に行くか否かについて若干のやりとりはあったが、C子も同行するという条件で、被告人は韓国行きの話を承諾する旨C子に返答し、C子はBに被告人と同行することを連絡した。事前にC子は被告人に日帰り旅行であること、Eの仕事の関係での荷物運搬をしてほしいことなどを伝えていた。同月一五日ころ、被告人宅にC子及び共通の友人であるNが来て話をしていた際、韓国旅行の話になった。被告人及びNは韓国から持ってくる荷物の内容をC子に尋ねるなどした。

7  同月二〇日午前二時ころ、C子は服などの荷物を持参して当時の被告人方アパートに宿泊し、Bと空港での待ち合わせ等につき連絡をとった後、被告人にBからの伝言として服を持っていって欲しい旨伝えた。被告人及びC子は、同日午前一〇時ころ、関西空港に行き、そこで待っていたBから航空券等を受け取った後(なお、この時が被告人とBの初対面である)、日本航空九六一便で関西国際空港を出発し、同日午後零時三〇分ころ、韓国金浦空港に到着した。

8  金浦空港にはEが出迎えており、被告人と初対面の挨拶をした後、ソウル市内のハンバーガーショップで食事をした。その後C子とEが二人きりで話をしたいと言い出したため、被告人は喫茶店で三〇分ほど一人で時間を潰した。

9  同日午後六時ころ、被告人、C子及びEは金浦空港に戻り、空港ターミナルビルでEは被告人及びC子にキャリーバッグを一個ずつ渡した。被告人及びC子はキャリーバッグの上に服を入れるよう言われて指示どおり服を入れた。キャリーバッグの中にはビニール袋に包んだ物が入っており、Eは土産であると説明していたキャリーバッグの運搬は主にEが行っていたが、相当の重量があった。 10 被告人及びC子は、二個のキャリーバッグを機内預け手荷物にした上、公訴事実記載の大韓航空七六八便に搭乗した。機内では被告人の座席とC子の座席は離れており、この間被告人とC子の会話はなかった。同機は同日午後八時三八分ころ、名古屋空港に到着した。

11  名古屋空港の旅具検査場係官勝広康は、通関手続をとる順番の列に並んでいた被告人及びC子の様子に不審を抱いた。被告人の手荷物検査の順番がきた際、被告人は一人でキャリーバッグを持ち上げられず係官の手助けを必要とした。係官は日帰り旅行にしては大きなキャリーバッグを所持していたことにも不審を抱いた。被告人に申告する物の有無を確認した際被告人はない旨答えたが、係官はバッグの中身を見せるよう言い、被告人は承諾したのでキャリーバッグを開けたところ、服や白色ビニール袋包の下に黒色ビニール袋に包まれた物が入っていた。係官は被告人に「これは何ですか」と尋ね、被告人は「お土産です」と返答した。被告人の承諾を得て黒色ビニール袋を開けたところ、中から偽造ビール券の束が出てきた。係官は被告人に「これはどうしたのか」と尋ねたところ、被告人は「人から頼まれたものなので分からない」と返答し、横からC子が「金浦空港で知らない人から無理に預けられた」と返事をした。被告人及びC子の携帯していたキャリーバッグ二個を調査したところ双方のバッグ内から偽造ビール券計二万一四九枚が発見された。

12  被告人及びC子は税関係員に事情を聞かれた後、偽造ビール券等を押収され、名古屋空港を出た。外を歩いていた被告人及びC子をB及びDが見付けて車に乗車させ、大阪まで連れ帰った。

13  被告人は本件持ち込みの後、前記Nに韓国から持って帰る荷物というのはビール券であり、税関で発見されたことを知らせ、韓国へは行かないほうが良いと言った。

14  本件の後、被告人とC子は今後取調べがあった際の口裏合わせを行い、BやEなど関係者の名前については黙っていることなどを打ち合わせた。

15  被告人は、前記税関でビール券持ち込みを発見された後約三か月経過した平成七年一月一八日、愛知県警西枇杷島警察署に逮捕され、翌一九日勾留された。被告人の勾留は延長となり、同年二月七日本件につき身柄を拘束されたまま起訴された。

三  被告人の供述の検討

本件の争点は前記のとおり、偽造ビール券を被告人が国内へ持ち込んだ時点において、被告人に運搬物が偽造ビール券であったという認識があったか否かという点にある。

前記に認定した事実、その他関係者の供述中からも、被告人が運ぶ荷物の内容を現認していた、もしくは被告人に対し運ぶ荷物の中身を事前に知らせた者がいたという証拠は全く認められない。したがって、被告人が前記の認識を持っていたかどうかについては被告人が専ら周囲の者の言動もしくはその場の状況から、自己の運搬するものが偽造ビール券であると知っていたかにかかるというべきである。

ところで、被告人は捜査段階において、逮捕直後からしばらくは偽造ビール券とは知らずに運んだ旨供述していたものの、平成七年一月三〇日付警察官調書(乙二八)において、本件当日金浦空港を出発する直前、Eの言葉を聞いて運搬する物が偽造ビール券であると判った趣旨の供述を行っており、以後捜査段階においては一貫して同趣旨の供述を行っているので、まずこの供述につきさらに詳しく検討を加える。

1  被告人の捜査段階での供述の概要(主に知情に関する点)

(1) 被告人の一月一八日付警察官調書の概要

荷物を韓国から運んだことは間違いない。韓国で日本人と思われる二二、三歳の男から受け取った。中身は確認しなかった。法に触れる物とは思わなかった。ただ、無料で韓国旅行ができると言われて変だなと思ったのも事実である。条件として韓国から荷物を運んで来るということであった、ヤバイ物ではないと言われてその気になった。しかし、会社の書類というのに会社の人が行かず自分が行くこと、航空荷物で送らないことなど疑問を残したまま引き受けたことは反省している。偽造ビール券とは知らなかった。C子に聞いて欲しい。

(2) 被告人の一月二二日付警察官調書の概要

(主に税関から出た後の行動につき供述した後)後からC子と何度か口裏合わせをした。Eについては聞いていた。まともな仕事はしていないと思っていた。 (3) 被告人の一月二五日付警察官調書の概要

韓国行きの話が初めて出たのは昨年(平成六年)九月末である。付き合っていたP子とのヨーロッパ旅行の計画をC子に話した。C子から「パスポートを持っているの」と聞かれて手続中であると話した。九月末から一〇月始めころ、C子から「パスポートはいつ取れるの」と聞かれて、「まだ取れない」と答えた。するとC子から「一〇月二〇日に韓国へ荷物を取りにいって欲しい」と言われた。C子が無料で海外旅行をしていたことは耳にしていたので、もしかしたら私(被告人)も無料で韓国へ連れていってくれるのかも知れないと思い、勤務先のスナックのママが承知したら韓国へ行っても良いと返事をして、ママの了解をもらった。

二、三日後、C子から「韓国へはあなた一人で行って貰うわ」と言われ、びっくりするとともに不安になった。C子は「Aさん(B)が航空券などは手配してくれるし、Eが向こうで荷物を渡す」と言っていたが、私はC子が一緒に行ってくれるならいいと言った。一〇月中旬、C子が一緒に行ってくれると言ったので、韓国行きを承知して、パスポートを受け取りに言った。Eがからんでいると聞いて、ちょっとヤバイ物を運ばされるんじゃないかと思い、心配はしていたが、C子と一緒ならいいわと安易に考えていた。一〇月二〇日午前二時ころ、C子が私のアパートへ来た。C子はBと電話で連絡を取り、落ち合う場所や着替えを持っていくことなどを知らせた。着替えを持って行くよう言われて変だなと思った。何か正規に持ち込めないものを持ち込み税関の人を騙すためなんだと思った。一〇月二〇日、関西空港へ行ったらBが待っており、ここからC子と一緒に韓国へ行った。

(中略)

C子とEの会話としてEが日本に帰りたがっているが警察に捕まるのが怖い、捕まれば二、三年は覚悟しなければならないと言っていた。荷物の中身については何も話していない。

金浦空港には午後六時ころ戻った。第一ターミナルビルでバスから降り、手荷物預かりのところへEが連れて行き、キャリーバッグを受け取った。そこからバスで第二ターミナルビルへ行った。Eはカートにキャリーバッグを乗せ、「キャリーバッグの上の方に着替えを入れてくれ」と言った。こじあけると荷物が一杯はいっており、白っぽい紙袋が一番上に入っていた。後から中身はカップラーメンや菓子と判った。その上にさらに着替えを詰め込んだ。やはり正規に日本へ運べない物が入っているのだなあと思った。午後七時ころ金浦空港を出発して午後八時ころ名古屋空港へ到着した。検査場で荷物の中身を聞かれて日本に持ち込んではいけない荷物と思っていたので、怖くなって何も言わず黙っていた。C子がとっさに「韓国で知らない人に無理矢理詰め込まれたので判らない」と答えてくれた。後でC子から口止めをされた。正直に言えばC子、E、Bらに迷惑がかかると思っていたが、P子に言われて本当のことを話す気になった。

(4) 被告人の一月三〇日付警察官調書の概要

私は荷物の中に偽ビール券が入っていることを知っていた。隠していたのではなく忘れていた。嘘と事実がわからなくなってきたがC子とEが金浦空港で会話していた中で、Eが「ビール券だ」と説明していたことを思い出した。

C子が韓国でカードを使用して時計を買う手伝いをしていたことについては聞いている。変な話があるなあと思っていたが只で海外旅行ができるということだったので、チャンスがあったら連れて行ってと頼んでいた。C子からパスポートの問い合わせがあったのは一〇月六日頃である。C子から「韓国行ってくれへん、一〇月二〇日に日帰りやから、向こうから持って帰ってきて欲しい物があるねん」と言われたので、仕事の都合さえつけば良いと思った。只であることはわかっており、何かヤバイ物、正規に日本へ持ち込めない物を運ばされるんだと思ったが、C子がこれまで無事に帰って来ているので、そんなに難しいことではないと考えた。(中略)

韓国行きをP子は反対していたが、当時P子が旅行に出掛けて不在だったこともあり、C子を通じてBからパスポートのスタンプはインク消しで後から消しておけばいいと聞いた。一〇月一五日、私のアパートへC子と友人のNが遊びに来て韓国行きの話が出た。Nは「持ってくる物って何やねん」と聞き、C子は、「私も知らんけどヤバイ物やない、会社の書類や言うてはる。」と言い、私(被告人)が、「警察や税関の人が見ても大丈夫なの」と聞くとC子は「そんなものやない」と答えた。しかし私はやはりヤバイ物と思っていた。(中略)

金浦空港のターミナルロビーでEに「キャリーバッグの中に着替えを入れてカムフラージュして」と言われ、やはり中身はヤバイ物なのだと思った。Eは「中に土産がはいっとるで、カッパえびせんとかラーメンがはいっとる」と言っており、持って帰る荷物はこの下に隠してあると思った。C子がEに「税関に聞かれたら何ていうの」と尋ね、EはC子に「本や書類が入っとると言えばいい、大丈夫だ」と言った後で「ビール券を入れたビニール袋が余ったから入れといた、サラやから。」と言った。そこで運ばされるものはビール券なんだと初めて知った。Eは韓国で悪いことをしていることは知っていたし、ビール券はビール会社が作るものなので偽物であると思った。不安になったが、これまでC子が捕まったこともなく心配している様子もなかったので、帰ってBに渡せば済むことだと気楽に考えていた。(中略)

検査場で手荷物を開けて調べているのを見て、C子に「全部調べとるみたいや」と言ったら、C子が青ざめた顔色で「どないしよういつもこんなことないのに」というので、私も急に怖くなり顔色がなくなるのが判った。(後略)

(5) 被告人の二月二日付検察官調書の概要

一月三〇日付警察官調書とほぼ同旨である。

なお、被告人についてはこの他、二月一日、同月三日及び同月六日にも警察官調書が作成されているが、内容は自白を前提とした補充的な調書である。

2 被告人の公判供述の概要(主に知情に関する点)

運んできたものが偽造ビール券であるというのは、中身を見るまで知らなかった。C子から韓国行きの話が出た時何を運ぶのか説明はなかったが、友人のC子が自分を悪いことに誘うとは思えなかった。また、海外旅行の経験の多いP子の話から、税関では必ず荷物検査があると思っていた。また、Nを交えて話をした際、Nが「持ってくる物って何やねん」と聞き、C子は「私も知らんけどヤバイ物やない、会社の書類や言うてはる。」と言い、私(被告人)が「警察や税関の人が見ても大丈夫なの」と聞くと「そんなものやない」とC子が答えたので、会社の書類ならなぜA(B)が行かないのかという疑問はあったが、C子が大丈夫と言うのでそれを信じていた。出発の当日C子に服を持って行くように言われ、なぜ服がいるのかと思ったが、韓国は寒いと聞いていたので、あまり気にしなかった。

荷物は想像していたのと違いかばんにはいっていたのでちょっとびっくりした。想像していたより重かった。金浦空港のターミナルロビーでキャリーバッグの中に服を入れるよういわれたが、特に不審には感じなかった。「カムフラージュのため」というような説明はない。Eは中身につき土産であると説明し、入れるものがなくてトイレットペーパーまで入れたと笑い話にしていた。C子がEに何が入っているのかと尋ねたかどうかについては記憶がない。Eが「本や書類やと言えば大丈夫だ。」というようなことを言っていたような気はする。「ビニール袋が余ったから入れといた、サラやから。」とEが言った記憶はある。しかし「ビール券」という言葉について言わなかったと思う。荷物が何かについて特に不安はなく、名古屋行きの飛行機の中でも隣り合った乗客と話が盛り上がっていた。検査場で手荷物を開けて調べているのを見たが、そもそも荷物は調べられる物だと思っていたので、特に何とも思わなかった。C子に聞かれて「全部調べとるみたいよ」と言ったが、C子の態度についてはあまりよく分からない。心配そうにしていたかもしれない。係官がキャリーバッグの中から黒いビニール袋を出した時自分の考えていた書類と違う形のものが出てきたので意外に思った。中からビール券が出てきた時はびっくりした。C子もびっくりしていたように見えた。

3 被告人の自白調書作成の経緯について

以上のとおり、被告人については捜査段階の冒頭から「偽造ビール券であることを事前に知らなかったが、ただ運搬物につき不審を抱き「ヤバイ物」ではないかとは察していた」という趣旨の供述調書が作成されていた。ところが、一月三〇日付警察官調書に至って「運搬物が偽造ビール券であったことを事前に知っていた」という趣旨の供述に転じ、その根拠としてEの「ビール券を入れたビニール袋」云々の言葉を聞いたという自白調書が作成されている。その後一貫して捜査段階においては自白の趣旨で一貫した調書が作成されたが、公判廷では一転して運搬当時偽造ビール券であることを知らず、ヤバイ物であるとも思っていなかったという供述を一貫して行っていることが認められる。

そこで、一月三〇日付警察官調書がどのような経緯で作成されたものであるかにつき、さらに検討を加える。

(1) 被告人は公判廷において、自白調書が作成された経緯につき次のように供述している。

逮捕の前、C子らと打合せをしていた。逮捕される直前には、C子に知っていることはしゃべるよと言っていた。取調べの始めの頃は本当のことを言っていた。二回目の検察官の取調べ(一月二七日か二八日)で検事に怒鳴るだけ怒鳴られ、ほんまのことをしゃべる気はないようだから、刑務所に二、三年行ってこいと言われた。その後警察で本格的な取調べがあり、自分でも記憶がなかったが、自分の記憶にも何となく自信がなくなり、曖昧な発言をしたら、知っていたという調書が出来上がってしまった。「ビニール袋が余ったから、サラやしいれておいた」という言葉をEが言っていたのは記憶がある。最初は忘れていたが、警察での取調べがきつくなりだしてから、警察でおまえは税関で嘘の供述をC子と一緒にしているから、嘘の供述と現実がごちゃまぜになって分からへんだけやといわれて、とりあえずもう一度よう思い出してみいと言われ、冷静に考えた時に思い出し、それを警察に言った。「ビール券を入れたビニール袋」と言ったかどうか記憶はなかったが、毎日ビール券と聞いていて、自分の中で記憶に自信がなくなり、言うたかもしれないという曖昧な言葉を出したのが、結果的に知ってましたという調書になってしまった。一月三〇日の取調べより後に、警察官から「検事さんが正直に話せばおまえは起訴せえへんと言うているから、ほんまのことを話せ」と言われていた。

(2) 取調べ担当官の供述内容

一方、警察段階で終始被告人の取調べを担当していた警察官である証人Qは、公判廷において次のとおり供述している。被告人は捜査の当初から、「ヤバイ物を運ぶ」という認識はあったが、ビール券とは知らなかったという点では供述は一貫していた。自分も被告人が犯意があったとは思っていず、自白をとろうというまでの気はなかったし、上司にもその旨伝えており、自白が取れないなら取れないで仕方ないから、共犯者の裏付けをとるため言動など細かい供述を詰めろと指示されていた。一月二八日ころ検察官の取調べがあったが、検察官に連絡したことは一切ない。被告人は検察官の取調後「検事さんは何も話を聞いてくれなかった。一方的に怒られて二、三年刑務所に行ってこいと言われた。(偽造ビール券であったことにつき)知らんわけはないと言われた」と憤慨していたので、被告人を「C子と口裏合わせをしたせいで嘘と現実がごちゃごちゃになっているんじゃないか、順番に思い出してみろ」となだめたところ、被告人は「わかりました、今夜一晩よく思い出してみます」と言っていた。一月三〇日の朝、取調べに入った証人に被告人が突然嬉しそうに「思い出した思い出した」と言い出すので、何かと思ったら「Eが空港で『ビニール袋が余ったのを入れといた』と言っていた」と言い始めた。証人は「ビニール袋」と言われても何のことか判らず、「ビニール袋ってなんだ」と尋ねたところ、「ビール券を入れたビニール袋」と返事をした。証人はそれまで被告人は偽造ビール券であることを知らないものと思っていたので、突然言われて驚いた。ビール券と知っていたことに間違いないかと尋ねたところ「その時知ったことを忘れていた」ということであり、当然正規のものでないことは判った、C子の方が詳しく聞こえたはずだと言っていた。「知ったことを忘れていた」というのはおかしいとは思ったが、被告人が「忘れていたものは忘れていた」と言い張るのでそのような趣旨の調書を作った。当初から被告人にはビール券を運搬して結果的に悪いことをしてしまったという罪の意識があったように思うが、ビール券であろうとそれ以外のヤバイ物であろうと被告人にとってどちらでもよかったのではないかという気がする。

被告人に取調べの最後の段階で「起訴猶予になるかもしれんな」とは言っているが、「検察官は起訴はしないと言っている」という言い方をしたことはない。 4 関係者供述の内容

前記の「ビール券を入れたビニール袋」という言葉に関し、聞き手及び語り手とされるC子及びEの供述は次のとおりである。

(1) C子の供述内容

C子は捜査段階において、当初一貫して犯意を否認しており、平成七年一月三一日付警察官調書においては、問答式で甲野(被告人)は、EがC子に「ビール券の入ったビニール袋が余ったから入れておいた」といっていたのを聞いているというが、覚えはないか尋ねられて覚えがないと供述した内容になっている。しかし、C子は同年二月四日付警察官調書において自白に転じ、前記「ビール券の入ったビニール袋」の言葉もEから聞いて自分達の運ぶものが偽造ビール券であると判った旨供述するに至り、公判における証言も同様の趣旨の供述をした。

(2) Eの供述内容

一方、Eは捜査段階から一貫して「ビール券の入ったビニール袋」という言葉をC子に言った記憶はないと供述し、公判における証言でも多少の動揺はあるものの、ほぼ同趣旨の供述をしている。Eは運搬する物の中身につきC子等に知らせる積もりは全くなかったと述べている。

5 検討

(1) 被告人の自白調書の信用性を裏付ける事情

〈1〉 以上の供述内容を検討すると、被告人がビニール袋に関する供述を行う以前には、他の関係者はだれもビニール袋に関する供述を行っていない。かつ、C子は被告人に遅れて二月四日付調書から「ビール券を入れたビニール袋」についてEに聞いたという内容の供述に転じており、公判で証言するまで一貫して右の点につき認めている。この点は、ビニール袋に関するC子とEの会話を被告人が実際に聞き、記憶していたことを捜査官に語ったものであると窺わせる事情である。

〈2〉 また、自白調書の作成された経緯につき、被告人と捜査官であるQの供述を対比させると、一月二八日ころの検察官の取調べを契機として、被告人自身が記憶をたどって思い出したビニール袋に関するEの発言をQ証人に語ったものと考えられる。その意味で自発的な供述であり、ひいては右調書においてビニール袋につきそれが偽造ビール券を包んでいたものであると知っていたこと、すなわち被告人が知情を認める趣旨となっていることをも自発的に供述したものではないかと窺わせる事情である。

(2) 被告人の自白調書の信用性に疑問を差し挟む事情

しかしながら、右自白調書にはその内容及び調書作成の経緯につき次のような疑問点があることもまた否定できない。

〈1〉 前記二で認定したとおり、被告人は本件持ち込みが発覚するまで、C子を除く他の関係者とはほとんど接触らしい接触がなく、自己が運ぶ物の内容を知る機会はC子からの限られた情報でしかなかった。このような状況におかれた被告人が、自分の運搬する荷物の内容につき何らかの不審を抱き、中身は何か気になっていたであろうことは十分推測できるし、その意味で関係者の一言一句に注意を払っていたであろうこともまた推測できる。

しかしながら、仮に被告人が「ビール券を入れたビニール袋」の一言を聞いたとして、自分の運搬する物が偽造ビール券であるとまで察し得たというのは、いかにも唐突であるといわざるを得ない。そもそもビール券を海外で偽造して日本へ持ち込むという犯行の態様自体極めて珍しく(警察官であるQも本件まで聞いたことがない旨供述している)禁制品の輸入事犯としては非常に特殊な形態である。そして、一般のビール券そのものは広く流通しているごく日常的な物であって、麻薬や覚せい剤などの薬物や拳銃のように一般の市民が密輸入の対象物として発想しうるものとは全く性質を異にしている。そのような言葉である「ビール券」の一言がすぐ自己の運搬物のことを言っているのだと結びつけることには、被告人にある程度の予備知識があったのでない限りかなりの飛躍があると思われる。しかるに、前記に認定したとおり被告人が知っていた事項は極めて限定的なものに留まっているのである。

もっとも、C子は前記のとおり捜査段階の途中で「ビール券を入れたビニール袋」という言葉につき聞いたことを認めた後は、公判証言に至るまで一貫してこの一言から中身が偽造ビール券ではないかと疑っていた旨供述している。しかしながら、C子は前記のとおりEの恋人であり、B、Oなど本件に関係する人物とも接触があったこと、本件以前にBの関係でカード詐欺にからむ時計などの物品を運搬した経験が何度かあったこと、そして特に、結果的にビール券の偽造に使用された大量の紙を「絵を描く友達のために持ってきた」などという虚偽の事実を口実にしてまで運ばされた経緯があったこと等に鑑みると、被告人とC子との間には、本件に至までの関係者との接触状況や事情の認識につき大きく差がある。したがって、たとえC子がEの一言から中身が偽造ビール券であったことを推測し得たとしても被告人にそれが可能であったという根拠にはなり得ない。

〈2〉 また、被告人が一月三〇日以前に偽造ビール券であるとは知らなかったと供述してきた理由として「知っていたのを忘れていた」というのはいかにも不自然である。「ビール券を入れたビニール袋」に関するやり取りを被告人が忘れていたという程度であればともかく、偽造ビール券と知って運搬したか否かはまさに具体的に本件で被告人が取った行動のすべてにつきその基礎となるものであって内心の関与する最も重大な事項であり普通であればおよそ忘れるとは考えられない事実である。この点に関してQ証人が「おかしな弁解と感じてさらに尋ねたものの、被告人に忘れていたものは忘れていたと強弁されてやむなくその趣旨で調書を作成した」というのはまさにこの疑問点を捜査官自身も感じていたということにほかならないと理解できる。

もっとも本件においては、被告人とC子が事後口裏合わせの話し合いを持ち、事実関係について虚偽の筋書を作るなどしていたこともあり、取調べの当時被告人自身の記憶が混乱していた可能性自体は否定できない。しかしながら、さきに検討したとおり、被告人の捜査段階における初期の供述は、細部においてはともかく、外形的事実関係については大筋において客観的事実に反している点はない。もっとも口裏合わせの影響を強く残していると思われる一月一八日付調書においてさえ、「偽造ビール券は韓国で二二、三歳の日本人の男から渡された」として、実際にビール券を手渡した人物であるEの年齢や国籍とほぼ合致した供述になっているほどである。それにもかかわらず、より被告人としては心に残ってしかるべき「偽造ビール券と知っていたかどうか」という点につき一月三〇日まで忘れていたというのは、やはり疑問と考えざるを得ない。

〈3〉 一方で自白調書が作成される以前に、被告人が偽造ビール券の認識があったにもかかわらず虚偽の供述をしていたと考えられるかといえばまたこれにも多大な疑問がある。前記のとおり被告人が自白に転じた状況に鑑みると、被告人は真に「ビール券を入れたビニール袋」のやりとりにつき忘れていたことを思い出したと考えるのが最も自然で合理的である。そして、偽造ビール券であることも知っていたという供述は、この「(ビール券を入れた)ビニール袋」という言葉を思い出したことによって初めて引き出されたものであり、この一言と密接な関係があることからすると、言葉を思い出す以前に偽造ビール券との認識のみがあったという推論には困難が伴うといわざるを得ない。

(3) しかし他方で、右自白調書はさきに検討したとおり、特段の利益誘導などがあった結果できたものとは認められず、任意性に疑問があるものとは思われないばかりでなく、内容が一応首尾一貫し、偽造ビール券を運搬することにつき知った当時の心情や税関での検査前の状況や心情等につき具体的に語り得ている内容となっていることもまた否定できない。このような自白調書を捜査官が作成し得た点についてなお検討を加えなければならない。

前記のとおり、被告人が一月二八日ころの検察官調べにおいて(被告人がいうところの)「検察官に叱られた」ことを契機として、自己の行為につき詳細に記憶をたどった結果「ビニール袋」云々のやり取りに行き当たり、それをQ証人に伝えたことが一月三〇日付調書作成の発端であったと認められる。(被告人もQ証人もほぼ同趣旨の供述をなしている。)その結果作成された前記調書中には、知情とかかわる事項につき従前の調書と異なる点として大略以下のような点が含まれている。

〈1〉 私は荷物の中に偽ビール券が入っていることを知っていた、隠していたのではなく忘れていたとした上で、その根拠をEの「ビール券だ」との説明においている点

〈2〉 C子が韓国でカードを使用して時計を買う手伝いをしていたことについて聞いていた点

〈3〉 一〇月一五日、Nを交えての会話中、韓国行きの話が出てそこで運搬物の内容につき会話した点

〈4〉 金浦空港でEに「(キャリーバッグの中に着替えを入れて)カムフラージュして」と言われた点

〈5〉 Eが中身につき土産(菓子やラーメン)と具体的に説明していた点

〈6〉 C子とEの会話で税関に聞かれた際の会話があった点及び前記「ビール券を入れたビニール袋」に関する発言があった点

〈7〉 右の発言を聞いて運ばされるものは偽造のビール券と知った点及その時の心情

〈8〉 名古屋空港の検査場でのC子との会話、C子の態度及び被告人の心情 これらの点について順次検討する。まず〈1〉の点については、調書の変更点を捜査官が前置きとして要約したという以上の意味は持ち得ない。次いで〈2〉ないし〈5〉の点については、本件行為前の状況につき、被告人がより詳細に思い出した事項を録取したとして理解できるが、それ自体(不審を抱く事情としてはともかく)偽造ビール券との認識に直結するほどの事情ではない。強いて言えば被告人が運搬する物についてのイメージとして書類もしくはそれと類似したものであると考えたことを推知させるにとどまる。また、「カムフラージュ」という言葉については、E供述に照らすとそこまでの説明をしていたかについてはいささかの疑問無しとしない。問題は〈6〉ないし〈8〉の点であるが、被告人が取調べ時には既に運搬してきた物が偽造ビール券であることを十分認識しており、かつ、(捜査段階当初における供述によると)本件当時何か「ヤバイ物」をそうと薄々感じながら運んでしまったということを前提とすれば、「ビニール袋」もしくは「ビール券を入れたビニール袋」という言葉を思い出した時点で、その言葉と実際に当時抱いていた漫然とした不審感や後ろめたさといった心情を結び付けて捜査官が一月三〇日調書を作成し、被告人も右調書及びそれ以降の調書をさほど抵抗なく受け入れてしまったと解する余地が十分にある。特に禁制品の輸入という事案について、法律についての特段の素養があるわけでもない若年の女性である被告人が、法的に厳密な意味でどこまでの知情があれば故意ありとされるかという判断が当時できたとは考え難い。Q証人が「被告人にとっては運んできた物がビール券であっても、その他のヤバイ物(何らかの悪事に関与する可能性のある物という程度の漠然とした意味)であってもあまり変わらなかったのではないか」と述べていることは正にこの意味において理解できるものである。

そうだとすれば、右調書の存在をもって被告人が「偽造ビール券」ということを知って持ち込んだ証拠と断ずるにはなお疑いが残るものと言わねばならない。

6 その他被告人が内容物につき偽造ビール券であると知っていたことを裏付ける事情の有無

前記客観的事実によれば、被告人の知っていたEの境遇、C子の行動、Nを交えての会話、無料で海外旅行ができるという点、日帰りにもかかわらず衣類を持ってくるよう言われた点、韓国で異常に重いキャリーバッグを中身の説明なしに渡され「本や菓子(書類、服など調書によって若干違う)が入っていると言っておけ」などとEより伝え聞いた点などから考えると、自己の運んでいるものにつき「ヤバイ物」(何か不審な点のある物)という認識があったと考えるのが客観的に見て自然な状況であったものと認められる。しかし、被告人は前記のとおり内容物が何であるかについて知る機会及び知りうる状況にあったとはいえず、むしろ「会社の書類」という言葉について被告人が捜査公判を通じて一貫して述べていることなどに鑑みると被告人が想定していた「ヤバイ物」の正体はEらが関与している悪事に関係した書類であると考えていた蓋然性が高いと言わざるを得ない。したがって、被告人に偽造有価証券もしくはそれに類したものを運搬するという認識が未必的にせよあったと認めることはできない。

第三  結論

以上検討したとおり、被告人が本件当時自己の運搬してきた物につき偽造ビール券であったという認識を持っていたものと認めるに足りる証拠はなく、被告人に対する本件公訴事実についてはその証明が不十分であって、犯罪の証明がないことに帰する。

したがって、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 田辺三保子)

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